訴えの先にあるもの。検査と薬以外の医師の役割とは?

病室

医師は、日々患者さんから色々な症状の訴えを聞くことがあります。訴えが適切な検査に、そしてその結果が新たな治療に繋がり、患者さんの症状がなくなるとしたら、言うまでもなくそれは医師として最も誇らしく嬉しいことだと思います。

しかし、患者さんが高齢になり体力が衰えて来た時、あるいはがんなどの病気がかなり進行してしまった患者さんにおいて、医師が出来ること、検査や治療で症状がなくなることは次第に少なくなります。

そのような検査や治療が難しい患者さんから、「食欲が全然なくて痩せてしまいました」とか、「脚がこんなに浮腫んでしまって」などという訴えがあった時、医療者はどのように対応するのが良いのでしょうか?

本日はそのような場合においての私の提案についてお話します。

目次

患者さんが期待していることは何か

上記の訴えに対して、「では、食欲が落ちてしまった原因を調べましょう」「浮腫みに対して利尿剤を使用しましょう」という提案は、もちろん悪いことではありません。患者さんから「お願いします」という答えが返って来るのであれば、それで良いと思います。

しかし、患者さんも実はそのような検査や治療にあまり期待をしていない時もあります。たとえば末期のがんなどでは患者さんも、自分の症状がたぶん良くならないだろう、と思っていることがあります。

たぶん良くならないだろう、と思っても患者さんはなぜ症状を訴えるのでしょうか。ひとつは「聞かれたから」答えたということもあるでしょう。しかし、私は患者さんが医療者と「単に話したい」「話を聞いて欲しい」ことも、あるのではないかと思います。

ナースコールを押す手

医療者は答えを出すことに慣れ過ぎている

患者さんの訴えから、原因を推測し検査を行い、診断に至る。診断をもとに治療を行い、患者さんの回復をサポートする。私たちは医学部から始まり、医師になってからもこのような勉強を続けます。

ただ、老いや重篤な病気の患者さんに対して、医療が出来ることは徐々に少なくなって来た時、それでも私達は「何かをする」ことが私達の役割であると信じ、患者さんの回復が期待出来る時と同じ対応をしようとしてはいないでしょうか。

診断する、治療する、指導する。しかし、そのようなアプローチが有効でなくなる時、自分の力で回復させることが出来ない衰弱した高齢者や、死を間近にした患者さんを前にした時。医師は無力さを感じ、「何も出来ません」と答えたり、患者さんとのコミュニケーションを閉ざしてしまう人がいます。私は、そこで無理に何かをしなくても、言わなくて良いのではないかと言いたいです。

Not doing,but being

「Not doing, but being」、直訳すると「何かをするのではなく、そこにいること」。近代ホスピスの生みの親であるCicely Saunders(シシリー・ソンダース)の有名な言葉です。ホスピスだけでなく、時に医療全般においても大切な考え方ではないかと考えています。

何かを言おう、しようと思った時、人は相手の話を聞かなくなってしまいます。看護師さんの「先生に伝えておきますね」という言葉。あるいは医師の「では痛み止めを増やしておきます」などという言葉は、もしかしたらそこで対話を止めてしまっているのかもしれません。

繰り返しますが、患者さんがそれを希望している時は言うまでもなく、それで良いでしょう。しかし、患者さんは医療者を呼び止める時には用事がないといけません。立ち止まって、ただ話を聞いて下さい、という気持ちの時もそうは言えない。自分の症状の話になると思います。

だから、まず「何をするか」という思考の前に、患者さんの話をよく聞くところから始めるべきだと思います。症状にまつわる質問から、相手が何を求めているのかを考えながら聞く。実は患者さんが本当に言いたいことは症状そのものではなく、身体が悪くなっていくことに対する不安や、自己喪失の痛みそのものかもしれないのです。

患者さんから具体的な要求がない時は、無理に答えを出すことはないと思います。患者さんは、話をすることで不安が軽減したり気持ちが前向きになることがあります。ここでは、カウンセリングにおける傾聴のスキルが役に立つかもしれません。

最後に、関係のない話をするメリット

解決が難しい、答えがない問いについては、別に気の利いた答えを言う必要はありません。私はある程度話をしたあとで意図的に「これは今度会う時までの宿題」にしたり、患者さんが興味を持っている話題や、解決可能な別の症状について質問し意図的に話を逸らしてしまうこともあって良いと思います。

これは話を無理に続け、沈黙したり重苦しい雰囲気になると、患者さんが「申し訳なかったな」と考え次の機会に話しにくくなったり、私たち医療者自身も苦しくなり無意識に患者さんから遠ざかってしまう可能性もあるからです。ごまかす意図ではなく、解決が難しい問題ならせめて少し気持ちが軽くなる終わり方をした方が良いのかな、という私個人の考えです。正しいかどうかは分かりません。

ただ、もちろんすぐに話題を変えてしまうと、もっと話したかったと思われるのかもしれないので、あくまでお話を聞いたうえでの対応です。

まとめ

主訴→客観的情報→アセスメント→治療計画という思考は医療を行ううえでは言うまでもなく重要です。しかし、それでは解決しない問題もあります。その時は患者さんの訴えに対して無理に治療計画という答えを出すのではなく、傾聴し、あるいは目を見て、握手をして「また来ます」ような対応だけでも良い時があるように思います。

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この記事を書いた人

元ホスピス勤務医、総合内科専門医。2013年7月大田区久が原に「小原りぼんクリニック」を開業。緩和ケアと認知症診療、訪問診療をライフワークにしています。介護は、まずは家族を支えなければ始まらないをモットーに、対話を重視する診療を心がけています。

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